歯列矯正を決意してから数ヶ月、ついにその日がやってきた。奥歯に「バンド」という金属の輪っかを装着する日だ。一週間前から、私の奥歯の間には「青ゴム」という小さな刺客が潜んでいた。常に何かが挟まっているような鈍い痛みと不快感。しかし、先生は「これがバンドを入れるための大切な準備なんです」と微笑む。その言葉を信じ、私はなんとか耐え抜いた。クリニックの診療台に横たわると、まず、一週間苦楽を共にした青ゴムが外された。その瞬間の、僅かな解放感。しかし、それも束の間、いよいよバンドの装着が始まった。先生は、様々なサイズの金属リングを私の奥歯に当てては、フィット感を確認していく。「試適」という作業らしい。まるでシンデレラのガラスの靴のように、私の歯にぴったりのリングを探しているかのようだ。サイズが決まると、歯の表面が念入りに清掃され、薬剤が塗布されていく。そして、選ばれたバンドの内側に、白いペースト状のセメントがたっぷりと詰められた。そのバンドが、私の奥歯にぐっと押し込まれる。強い圧迫感と共に、口の中にセメントの独特な風味が広がった。先生は「バイトスティック」と呼ばれる器具を使い、バンドが正しい位置に収まるように、私に「カチカチ噛んでください」と指示する。何度か噛み締めると、バンドは歯に完全に密着した。最後に、歯からはみ出した余分なセメントが丁寧に取り除かれ、全ての工程が終了した。舌でそっと触れてみると、そこには間違いなく、冷たくて硬い金属の輪が存在していた。頬の内側にも当たり、口の中が一気に狭くなったように感じる。これが、これから約二年間、私の歯並びを動かすための土台となるのか。違和感と、ほんの少しの不安。そして、未来への大きな期待。銀色の輪っかが私の歯の一部となったその日は、長い矯正治療の旅が本格的に始まった、記念すべき一日として私の記憶に深く刻まれた。